2020/10/22

大学時代のケガ

 中学校では陸上の砲丸投げを、
高校では甲子園に行きたくて野球部に。
大学では再び陸上を始めました。
 
中京大学に進学すると、中学と同じ種目の
砲丸投げを始めましたが、ここでもけがに
泣かされました。
 
筋肉質だった身体は、高校時には細くなり
(野球選手としては太かった)
また、筋肉量を増やす練習が増えた。
 
ここでも練習の違いから、手首を痛めた
砲丸の選手には致命的。             【私は前列左からの2人目。後列左端が恩師
                              のアジアの鉄人。室伏重信先生。
                            (ハンマー投げ金メダリスト、室伏広治の父)】
 中学の砲丸は4㎏。
大学一般の重さは約7.3㎏。(オリンピックはこの重さ)
手首だけでなく、体中の負担が大きいことはよくわかる。
 
手首が治ったのも束の間。今度も腰痛。
それも200㎏のスクワットでの圧迫骨折
 
しばらく動けない状態だった。
数か月後に復帰はしたが、腰の負担も考えて種目変更をした。
 
円盤投げだ。
砲丸よりは軽いがそれでも2㎏の重さはある。
 
それ以降は大きなけがはしなかったが、数十年たっても体の調子が良くないと
脱臼した左肩と2度にわたる大けがの腰は痛みが出る。
 
大きなけがをすると、本当の意味での完治は望めない。
痛みが無くなっても上手に付き合っていかないと、
古傷は再び襲い掛かってくるチャンスを待っている。